沖縄電力のコーチに就任した金城長靖氏 打席に立つ直前、沖縄電力・金城長靖はふと、こんな思いが頭をよぎった。 「打ったらヒーロー、打てなかったら引退だな…」 18 年間に及んだ現役生活で感じたことのなかった不思議な感覚。あの夏から 7 カ月が経過したが、東京ドームでの情景は瞬時によみがえってくる。昨夏の都市対抗開幕戦。前年覇者・トヨタ自動車との一戦は、0―0 のまま 9 回表 2 死満塁を迎えていた。マウンドには同大会限りでの現役引退を公表していた佐竹功年。長く社会人野球でプレーしてきた 2 人にとって、これが公式戦、練習試合を通じての初対決だった。 「前のバッターがフォアボールを選んでくれて。これも運命なのかなという感じで。佐竹さんはシーズン開幕前から引退されるという記事は読んでいましたので。逆にここで打れなかったら僕も引退だな、と」 追い込まれてからのチェンジアップを警戒していた。佐竹にとってのウイニングショット。同じ時代を戦い抜いてきた金城からすれば、その威力は言わずもがなだった。 「もちろん、チェンジアップの情報は入っているので。追い込まれるまでは真っすぐで押してくるという考えしかなかったですね」 初球の直球はアウトコースに大きく外れるボール。「速さは感じたけど、いけるだろう」。2 球目も直球に絞った。金城の狙い通り、2 球目も直球。それも、想定よりも甘いコースに投げ込まれてきた。フルスイングで捉えた白球が、右翼線ギリギリで弾む。歓声と悲鳴が交錯する中、ほんの数センチだけファウル。金城が悔しそうな表情で振り返る。 「ちょっとバットの先でした。打ちたい欲が出たのかな。ヘッドも少しだけ早くかえった分、ファウルになりましたね」 カウント 1―1 からの 3 球目は、金城の予想に反して真ん中へのチェンジアップ。スイングの途中にチェンジアップと気づいたが、バットコントールの良さが災いした。 「“空振りしろ”と思いましたが、バットに当たってしまった。打ちたい欲が強すぎて、ひっかけて。普段ならちょっと泳がされてもセンターへ打てたかなと思うんですけど、冷静ではなかった。みんなが回してくれたのに申し訳ない気持ちでした」 一ゴロで無得点に終わると、その裏、1 死一、二塁から高祖健輔に右前打を許しサヨナラ負け。10 年ぶり 5 度目の晴舞台でも、待望の初勝利を挙げることはかなわなかった。続く日本選手権は九州地区予選で敗退。大会終了後、平田太陽監督との面談で現役引退を決意した。金城はすがすがしい表情で言葉をつなぐ。 「都市対抗で負けた悔しさもあってイチからバッティングを見直して。自分から引退を言うのは簡単というか葛藤もあったんですが、監督さんの方からお話をいただいて。それで踏ん切りがついたというか。いいタイミングで言っていただき感謝しています」 全力で駆け抜けた尊い日々に別れを告げ、新チーム結成後はコーチに就任。沖縄県浦添市にある野球部グラウンドで、後進の指導にあたる。 「この歳まで野球をさせていただき、感謝しかありませんでした。年々野球が好きになっていったし、とことんうまくなりたいというその気持ちだけでした。長くプレーさせていただけたのは会社のおかげですし、本当に家族、周りのたくさんの方々に支えていただきました」 八重山商工(沖縄)の 3 年時には春夏連続で甲子園大会出場を果たし、5 試合で 3 本の本塁打を放った。救援投手としても 2 勝。ハンカチ王子に沸き返った 2006 年、高校野球ファンの記憶に残る選手の一人だった。 「僕自身、いろいろ勉強しながら、選手たちにたくさんの引き出しを持たせられるように。届きそうで届かなかったあと一歩が、今年、全国へ出られないと、あと二歩、あと三歩に再び後退してしまう。あの舞台でしか積めない経験があるので、ここからは全国大会の常連チームを目指していきます」 離島のハンディに負けず、全国の強豪校に立ち向かっていた闘争心は 36 歳になった今も変わらない。選手としては果たせなかった「ドーム 1 勝」は、成長著しい後輩たちに託す。